むか〜しむかしの、まだ人と神さまの距離が近かったころの話じゃ。

栃木と佐野のあいだに、三毳山(みかもやま)っちゅう、やさしいかたちの山があったんさ。
春になっと、山いっぺんに花が咲いて、まるで神さまの庭みてえだったんよ。

その山のてっぺん近くに、小さなお屋敷があってな。
そこに「カタクリ姫」っちゅう、美しゅうて気立てのええ姫さまが住んでおったんさ。

この姫さまは、山の草木や動物たちとも心通わせる、不思議な力を持っとってな。
村のもんらも「山の神さまの娘にちげぇねぇ」って、ちっと畏れながらも、たいそう慕っとったんさ。

カタクリ姫は朝になると、ひとりで山を降りて村まで来ては、
けがした子どもを治してやったり、畑に水を呼んでやったりしてな、
みんなに「姫さま、ありがとなし〜」って、よう感謝されとったんよ。

ある年の春のはじめじゃった。

都からの戦(いくさ)の知らせが広がって、武士たちがあちこちを駆け巡っとったころ、
ひとりの若ぇ侍が、この三毳山のふもとで道に迷ってしもうたんさ。

鎧(よろい)もボロボロ、馬もどこかで逃げてしもうて、
すっかり疲れ果てて倒れてたんを、カタクリ姫が見つけたんさ。

「おやまぁ、えらいこと。こんなとこで寝とったら、狐さまの夜ごはんになっちまうべ」

そう言って姫さまは、自分の水筒を差し出して、侍の顔をのぞきこんだんよ。

若い侍は、目を開けた瞬間、姫さまに心を奪われたんさ。
…いや、そりゃまぁ、美しかったんだと。
それに、なんとも言えねぇ、やさしい雰囲気があったんよ。

姫さまも、くったくのない侍の笑顔を見て、なんだか胸があったかくなってのぉ、
それからというもんは、ふたりは毎日、山の上で会うようになったんさ。

山のこと、村のこと、侍のふるさとの話──
時間を忘れて話しこむふたりを、風も鳥も祝福しとるようだったんよ。

だけんど── その幸せは、そう長くは続かんかったんさ。

ある日、侍がこう言うたんよ。

「国に戻って、戦に出ねばなりません。だけど…必ず帰ってまいります。姫さま、どうか、それまで…待っていてくれますか?」

姫さまは、すこし寂しそうに微笑んで、
「うちはここから動かん。あんたが帰る場所は、ここにあるけぇな」と言うたんさ。

その言葉を胸に、侍は三毳山をあとにしたんよ。

それからというもん、姫さまは毎朝、山の見晴らし台に立って、
遠くの道をじ〜っと見つめとった。

「今日は…戻ってくっかのぉ?」
そうつぶやきながら、風に髪を揺らしとったんさ。

けんども、月が満ちては欠け、夏がすぎ、秋がきて──
雪が山を白く染めても、侍は帰ってこんかった。

村人たちも、心配して姫さまに言うたんさ。

「姫さま、もう忘れちまって、新しい春を迎えなされ」
「戦じゃ、誰が生きて帰れたかわからんべ。あん人ももう…」

だけど姫さまは、首を横に振って、何も言わんかった。

そして──その春のはじまり。
姫さまは、いつものように山に登ったまま、ふっと姿を消してしもうたんさ。
誰も見とらん。声もなかった。

ただ、山のてっぺんに、姫さまの白い羽織が、そっと木にかかっておっただけじゃ。

春の光がぽかぽかしてきた頃、
村の者たちが山を登ったらのぉ──
姫さまがいつも座っとった岩のそばに、ちっこい花が咲いとったんよ。

うすむらさきで、ひとひらひとひらが、まるで涙みてえに震えておった。
それが、カタクリの花じゃ。

誰も教えてないのに、毎年同じ時期に、その場所にだけぽつりぽつりと咲くんさ。
まるで姫さまが、今も待っとるようにのぉ。

いまでは「カタクリ姫の山」って呼ばれて、
春になると、あのやさしい花が、山いっぺんに広がるんさ。

その風景を見たもんは、誰でも、こう思うんさ。

「姫さまは、いまもここにおられるんだべなぁ…」ってな。

おしまい。