むか〜しむかしの、もっともっとむかしのことじゃったんよ。

栃木の北の方に「鬼怒川(きぬがわ)」っちゅう、大きくて暴れん坊な川があったんさ。
名前に「鬼」って字が入っとるくらいでな、この川はちょいと気性が荒くて、
ときどき大水になっては、村を流したり、橋を壊したり、田んぼをめちゃくちゃにしちまうことがあったんよ。

だけどな、川が荒れるには、もっと深いワケがあったんさ。
それは、川に「鬼」が住んでいたから、って話じゃ。

そのころ、鬼怒川の奥深くには、赤い顔した鬼がひとり、棲みついておったんよ。
身の丈は三メートル、目はぎらぎら、金棒を振りまわしては、
川に近づく者を追い返していた。

「ここは、わしの川じゃぁああ!」
って、怒鳴り声が山にこだまして、動物も人もびっくりして逃げたもんさ。

でもな、この鬼、もともとは山の神さまの使いだったって話もあってな。
悪さばかりしてたわけじゃなかったんさ。

昔は、山や川を守ってた立派な鬼だった。
けど、人間たちがどんどん川辺に家を建てたり、木を切ったり、山を崩したりして、
自然を荒らすようになったのを見て、鬼はだんだん怒りに満ちていったんさ。

「なんで、山を壊すんだ! なんで、川を汚すんだ!」
って、鬼の怒りが川に宿って、大水となって村を襲うようになったんだと。

ある年の夏、いつもよりも川の水が急に増えはじめた。

「こりゃ、大水が来っかもしんねぇ」
「鬼が怒ってんだべか…?」

村のもんは怯えて、夜も眠れんかった。

そんとき、若い旅の僧が通りかかって、こう言ったんさ。

「この地には、よほど深い悲しみが眠っているようじゃ。
 拙僧が、川の主と話してみましょう」

村人たちはびっくりした。
「ばかな! 鬼怒川の鬼に会うなんて、命がいくつあっても足りんわ!」

でも、その僧は笑ってこう言った。
「鬼もまた、この土地を守りたいと願う者。話せば、きっとわかりあえる」

その晩、僧は川べりにひとりで座り、経を唱えながら鬼を呼び出した。

「鬼よ、もしこの地を守る心があるのなら、姿を見せておくれ」

すると、ゴロゴロゴロと雷が鳴って、川の奥から鬼が現れた。
目は血のように赤く、歯は岩のように尖っていた。

「なにゆえ、わしを呼び出した!」
鬼の声が響いた。

僧はおそれることなく、こう言ったんさ。

「人間は愚かです。自然を壊し、山を削り、川を汚す。
 けれど、すべてがそうではない。心から山を敬い、川を大切に思う者もおります。
 鬼よ、怒りの水を鎮め、もう一度、山の守り手として戻ってきてはくれぬか?」

鬼は黙ったまま、しばらく僧を見つめていた。
そして、ゆっくりとうなずいたんさ。

「わかった。わしは、山の奥へ戻ろう。
 だが、人間がまた山を壊すようなら、
 こんどこそ、わしは本当の鬼になるぞ!」

そう言い残して、鬼は川の流れにとけるように姿を消した。

それからというもの、鬼怒川は穏やかになり、
村にも水の恵みと平和が戻ってきた。

そして、人々は鬼の怒りを忘れぬよう、
「鬼怒川(きぬがわ)」とその名をつけて、ずっと語り継いできたんさ。

今も川のどこか深いところに、
山と水を見守るあの鬼がいるかもしんねぇなぁ…。

おしまい。